練習にて [舞踏]

今日纏まった時間が取れたので、発表会に向けての自宅練習を行いました(不十分でも、毎日時間を見つけてこそっと練習をしてはいます)。まだ、舞踏譜に書かれているステップを覚えるだけで精一杯ですが、それをしなければ、表現の段階まで進めません。今回も、ステップを身体に刻みつける気持ちで、舞踏譜と格闘していました。

何回も難しいステップの覚え直しを繰り返している内に、今迄とは違った感覚が湧いてきました。難しいステップを繰り返し練習していたら、この難しさは何を表現しているのだろう、と感じたのです。少し、踊る事を止めて、考えました。<もしかしたら、この難しさは、鋭利で且つ重みのある動きを要求しているのかもしれない> そう感じました。それで、ステップに自分なりのイメージを付加して、その難しいステップを踏んでみると、不十分であっても、なんとかこなせました。僕は、ステップにイメージを付加すると言う事を、今迄してきた積りでしたが、実際は、単にステップを覚えるという段階で留まっていたんですね。

舞踏譜に書かれているステップは、イメージを付加させなければ、只の脚の動きの羅列に過ぎません。こう考えると、舞踏譜に書かれているステップは、楽譜の音型と同じです。音楽でも、或る音型を弾く時、何のイメージも持たなければ、音の並列で終わってしまいますものね。

イメージは、簡単に出てくるわけではありません。その人の経験の多様さや深さによって、イメージの数が違ってきます。その為には、多くの経験が必要だ、と思います。反社会的な経験は不必要ですが、感情面の経験は多い方が良いですね。苦しさも、経験するべきなのだと思います。

芸事を披露する立場の人は、悦楽だけでなく、辛苦も十分に味わう必要があるでしょう。苦楽は表裏一体なのです。

誰からも頼まれていないのに、そんな労苦をする事は馬鹿げた行為に見られるかも知れません。でも、それをするのは、その芸事が好きで好きで堪らないからなのです。

arata
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アヨアン・イゴカー

>舞踏譜に書かれているステップは、イメージを付加させなければ、只の脚の動きの羅列に過ぎません
舞踏でも音楽でも絵画でも詩でも小説でも演劇でも、流れは重要ですね。なぜなら、人間は生きていて、時間も空間も連続しているからです。連続しているが故に、変化は自然でなければならない、大きな変化を連続させる時にもそこには自然な流れがなければならない、そう思いました、arataさんのこの文章を見て。
by アヨアン・イゴカー (2011-02-13 23:46) 

arata

アヨアン・イゴカー様
御訪問・nice・コメント有難うございます。
仰る通り、モノの動きは自然で流動的である事が理想です。コペルニクス的転回を見せている時ですら、その急激な方向転換にも計算された細かい変化が必要なのだと思います。僕は踊りを通してこれの事を学んでいます。
arata
by arata (2011-02-14 14:11) 

arata

ぼんぼちぼちぼち様
御訪問・nice 有難うございます。
arata
by arata (2011-02-20 19:25) 

arata

galapagos 様
御訪問・nice 有難うございます。
arata
by arata (2011-02-27 23:05) 

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