Karina Gauvin のPorpora Opera Arias [音楽]

8月に購入したものの、体調・精神状態が最悪だった所為で、今まで聴いていなかったCD を少しずつ聴いています。その一つが、カナダ出身のソプラノ歌手、 Karina Gauvin が 18世紀のイタリアの作曲家 Nicola Porporaのオペラ作品のアリアばかりを歌っている<Porpora Arias>です。

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18世紀の劇場作品、特にイタリアオペラは、カストラートの異様とも感じられる歌唱技術を開陳した歌が並列されている衣装付きコンサートのようなものと考えられがちですが、実際聴いてみると、ちゃんとしたドラマがあり、それに相応しい音楽が作られている事が解ります。勿論、華やかな装飾技巧や、長いブレス技術を誇示する音楽もありますが、登場人物の感情を、実に丁寧に深く表現している音楽もあるのです。このアルバムに収められたレチタティーヴォ・アリアはそれを証明していると思います。

僕は、このCD を聴くまでK.Gauvin を知りませんでした。Porporaと言う作曲家の作品に惹かれて、このCD を購入しましたが、Gauvin の歌唱を聴いて吃驚、当時の歌手が、現代に現れたのかと思うほどでした。

<イタリアの音楽には、常に流麗なテンポがあり、どんなに音楽がゆっくり進んでいても、その性格は失われず、音楽はリズミカルに展開する> これは、Maria Callas が生前言っていた言葉ですが、Gauvin の歌唱は、正しくそれでした。

このアルバムには、装飾技巧を誇示する歌は少ないのですが、それでも、歌手に高度な歌唱技巧を要求する歌ばかりが集められています。Gauvin は、装飾技巧を含めて、登場人物の感情・心理を見事に描いていました。<作曲家は、人物の感情表現に、装飾技巧を使った>これも Callas の言葉ですが、この事を Gauvin は実践していました。彼女の歌唱では、装飾が殆ど目立たないのです。それだけ、旋律、強いて言えば音楽そのものと装飾が高い次元で一致していると言えるでしょう。勿論言葉の発音も明瞭でした。





これから Karina Gauvin の活動に注目していこうと思います。

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Joan Sutherland 考 [音楽]

この10月10日に、スイスの自宅にて、20世紀後半の偉大なソプラノ歌手Joan Sutherland が亡くなりました。 家族に看取られての最期だったそうです。1926年生まれですから、享年84歳、天寿を全うしたと言えるでしょう。

僕がSutherland の歌唱を最初に聴いたのは、中学3年生の頃でした。その頃僕は、M.Callasの圧倒的な歌唱やR.Scottoの緻密で流麗な歌唱(彼女達は、発声のポイントを鼻腔の中央からやや前方に置いて、開かれた声の発声法で歌っていました)に、夢中になっていたので、Sutherland の鼻腔の奥深い箇所に声を響かせる発声法や何を語っているのか良く解らない言葉の発音の不明瞭さ、旋律の外的輪郭を整え、装飾技巧を開陳する事に汲々としているだけのように聞こえる歌唱に、違和感を感じ、余り好きにはなれませんでした。おまけに、某音楽評論家の彼女への否定的評価に影響を受け、彼女を音楽表現から最も遠い歌唱を行う歌手と判断していました。今から考えると、軽率な判断ですね。

僕の彼女への見方が変わったのは、大学生になってからの事。19世紀初頭の天才ヴァイオリニストPaganini の伝記を読んだ時でした。器楽奏者の伝記を読んで、歌手の見方が変わるというのも妙ですが、その伝記に、<ヴィルトゥオーゾ的技巧は、音楽を豊かに表現する手段である>と言う一節が書かれていました。それを読んだ時、何故か、Sutherland の歌唱が、思い浮かんできたのです。それで、彼女の歌唱を、丁寧に聴く事にしました。スタジオ録音では、彼女の声に妙なエコーが掛けられていたので、今一つ良く解りませんでしたが、彼女は、実に丁寧に楽譜を読んでいるという事だけは、解りました。

それで、音響に妙な加工を入れるスタジオ録音ではなく、彼女のライヴ録音を聴くようになりました。するとどうでしょう。彼女独特の発声法・やや後ろに引き気味な歌唱法に、違和感は残るものの、彼女は、非常に高度な音楽性を持ち、実に音楽的に歌っている事、また、スタジオ録音では、ぼやけ気味に聞こえていた声が、実際は、明確な輪郭を持ち朗々と響き渡る声と言う事(彼女は、美声の権化と思われている節もありますが、ライヴ録音で彼女の声を聴くと、必ずしも美声とは言い切れませんし、稀に、しゃがれたような音色を出す時もあります)、彼女の可能性の範囲の中で明瞭に言葉を発音している事も、解りました。彼女は或る曲を歌う時、、その恵まれた資質で、旋律を朗々と歌い上げ、効果的に、装飾技巧を駆使して、音楽の彩りを豊かにしていたのです。勿論Callas のような、音楽の真髄を抉り出す歌唱は、現代の聴衆の心に衝撃を与え、芸術の本質を悟らせると言う点で、非常に重要ですが、Sutherland は、夫君R.Bonynge と共に、18世紀末期から19世紀半ばに掛けての声楽界の黄金期を彷彿させる演唱を具現化してきたのだ、と言えると思います。この事は、音楽史を学ぶと、とても重要な事だと解ります。

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僕が、それを理解出来るようになってから、Sutherland は、僕にとって大切な歌手になりました。日本では、正当に評価されませんでしたが、彼女の功績は、偉大です。彼女の逝去は、とても残念ですが、彼女の残した夥しい録音によって、歌唱の重要な一つの側面が伝え続けられる事を、願います。


パンク・バロック? [音楽]

Baroque Art が起伏の激しいものである事は、周知の事ですけど、<最近お行儀の良い演奏(勿論激しい起伏を踏まえての演奏ですが)が多いな>と感じていました。で、偶々、HMVのサイトを見ていたら、Simone Kermes と言う知らないソプラノ歌手のCD が紹介されていました。プロフィルを読むと、17世紀から19世紀初頭辺りをレパートリーにしているとか。こうなれば、Kermes 女史の歌唱を聴きたくなってしまいます。早速、YouTube で検索したら、結構アップロードされていました。その一つを紹介します。



聴いてみると、彼女は、良くトレーニングされた確実な歌唱力を持つ歌手と言う事が判りますし、強い表現力も備えています。でも、それ以上に僕を驚かせたのが、その激しい歌い振り、やや乱雑に纏めた髪形、それとダークグレーの型崩れ気味のコスチュームに、崩したような着こなしでした。音を消して動画だけを見れば、ロックとまでは行かなくても、ポップスを歌っているのかと思うほどです。

どの時代の音楽もそうでしょうけれど、流行の最先端を行く物が持て囃されます。だから、激しさがその特徴の軸となっている17・18世紀の音楽の演奏行為も、若しかすると、当時の視聴者にとっては、この様なものだったのではないかと思います。

古楽と言うと、衒学的なイメージを持たれ易いですけど、現代に訴える Baroque Art は、それに接する者(演奏・演技する側・視聴する側、両方)に、心の動揺を与え、彼等を恍惚感に至らせるものであっても良いのではないか、と思うこの頃です。

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フランス語 [語学]

今年の8月から、大阪市営地下鉄四ツ橋線肥後橋駅近くにあるフランス語教室に通っています。バロック舞踏・バロック音楽に取り組むに当たって、フランス語の語感を身に付ける事が必要だ、と考えたからです。歌に取り組んでおられる方は、この事を十分感じておられると思います。

歌は、言葉が旋律に付けられている音楽です。言葉が旋律を活かし、旋律が言葉の内容を強める…そう思います。偉大な歌手ほど、旋律と言葉を、高い次元で一致させていますよね(M.Callasが、その最も代表する歌手だと思います)。

では、言葉の無い舞踏や器楽曲には、語感は必要ない?僕は、舞踏にも器楽曲にも、語感は必要だと考えます。或る国で作られた作品には、その国で使われていた言葉が、少なからず、作品に影響を与えていると、僕は考えます。だって、その作品を作った人は、その国の言葉で考えながら、作品を作ったと思うからです。

僕は、バロック舞踏に取り組んでいます。バロック舞踏の理論を作り、作品を多く生み出した国は、フランスなのです。やはり、バロック舞踏に取り組み続ける以上、或る程度、フランス語の語感を身に付ける必要があると思います。いくら、僕が好きであっても、バロック舞踏は、異文化の作品です。異文化を知るには、その異文化作品が作られた国の言葉を知る事も、重要だと思います。ネイティヴのように言葉を使えなくても(僕は日本人であって、日本人の思考で物事を考えますから)、語感を身に付けたいですね。

自分が取り組んでいるものは、異文化の作品だ、という事を忘れないようにしたいです。

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興味深いバロック舞踏の動画 part2 [舞踏]

今日も、YouTubeでdanse baroqueを検索していたら、またまた、非常に面白いFolie d'Espagneの動画を見つけました。

Folie d'Espagneは、スペイン発祥の踊りですが、この踊りは、フランスに輸入された後、原型からかけ離れた踊りに変容しましたが、この動画では、おそらく、当時のスペインで踊られていた振り付けの名残を留めているであろう踊りを見る事が出来ます。前半は、フランス風のFolieですが(単に踊っているだけではなく、バロック期の貴族のダンスレッスンの様子も踊りの中に含まれています。女性が舞踏教師で、男性が生徒と言う例は、珍しいですし、舞踏教師が、ポシェット・ヴァイオリンを弾きながら踊る様子を見られるのも、面白いですね。実際、当時のダンスレッスンは、舞踏教師がポシェット・ヴァイオリンを弾きながら、生徒を指導していたのです。)、後半で見られる踊りは、スペイン固有のFolieだと思います。カスタネットの捌き方がとても上手く、印象的です。



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興味深いバロック舞踏の動画 [舞踏]

異常な暑さの夏が過ぎ、漸く、体調も良くなりつつあるので、久し振りにブログを書きます。

YouTubeで<Danse Baroque>を検索していたら、面白い動画を見つけました。手掛ける人によって、踊りの性格がこれほど違うものになるとは、本当に興味深いです。











どの動画も興味深いですが、特に4番目の動画は、不気味さすら感じさせます(この不気味さこそバロック的と言えるかも知れません)。

僕も、僕ならではの踊りのスタイルを身に付けたいです。

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Sarabande pour homme [舞踏]

僕は、断続的ですが、ヒストリカル・ダンスと20数年取り組んできました。取り組めば取り組むほど、難しくなり、頭打ちの状態が続いた事もありました。一昨年の<安土城御前演奏会>を終えてから、暫く踊りに取り組む事を止めました。今年の春頃まで、敢えて身体作りも行いませんでしたし、舞踏譜も読みませんでした(鬱病を患っていた所為もありますが)。

でも、春を過ぎた頃から、バロック舞踏に取り組む気持ちが湧き始め、踊りのトレーニングを少しづつ再開しました。踊りのトレーニングを再開して、改めて感じた事は、シンプルな動きが、よりバロック舞踏を豊かに表現出来ると言う事でした(勿論、バロックですから、装飾的動作も必要ではありますが、それも必要不可欠な場合に用いられるべきです)。舞踏譜を、改めて深く読み直すと、舞踏譜には、非常に沢山の情報が書き込まれている事が判りました。

17・18世紀、バロック舞踏は、<Belle Danse>と呼ばれていました。その<Belle Danse>の代表的舞踏と見做されていた舞踏が、<Sarabande>です。この舞踏は、ややゆったり気味のテンポの3拍子の音楽に乗って威厳・高貴さを持って踊られます。また、この舞踏は、ソロでもペアでも踊られますが、高度な技術を踊り手に要求するので、可也達者な舞踏技巧を持つ人でなければ、中々上手く踊る事が出来ません。なので、宮廷人の中でも踊りの達者な人達か職業舞踏家達によって<Sarabande>は踊られました。

もうそろそろ、今迄勉強してきたバロック舞踏の纏めをしたいなと思って、踊りたい作品をリサーチしているところです。勿論、踊りたい作品に<Sarabande。も含まれています。YouTubeで男性用の<Sarabande>の動画を探しましたが、中々なく、漸く見つけたのが、下の動画です(最後まで踊りきっていないのが残念です)。僕の持っている舞踏譜集の中に入っている作品です。



その他に、男性ソロ用のLoure<L'aimable vainqueur>や、男性ソロ用の<Chaconne de Phaeton>、男性ソロ用の<Folie d'Espagne>、また特定の舞曲ではない音楽によって踊られる幾つかの<Entree(Tragedie liriqueやOpera balletの中の一つのシーンの中で、舞踏家の技術と表現力を見せる舞踏)>等々を踊りたいなと思っています。

<L'aimable vainqueur>は、舞踏の動画がなかったので、音楽のみの動画です。



下の動画は、<Chaconne de Phaeton>です。僕の好みの踊り方じゃないけれど、これしか動画がなかったので、掲載しました。



これとは決めていませんが、下の動画が、<Entree>の例です。



或る事柄を取り組み続けられるって、本当に幸せな事だな、とつくづく感じます。

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歌と器楽曲とバレエ [音楽・舞踊]

前回の記事で、流行り歌と作曲家の関係に就いて書きました。ふと思いついたのが、音楽と舞踊の関係です。
<Il carnevale di Venezia (Le carnaval de Venise)>と言う歌があります。この歌は、19世紀半ばにJ.Benedict がイタリアの民謡を基に元歌を作ったらしいのですが、作られた当時、大いに流行り、この歌のメロディを使って、他の作曲家達が、曲を作りました。普通、そのような場合、その曲は、その歌のメロディを使った器楽曲(Paganiniのヴァイオリン独奏曲<nel cor piu non mi sento による変奏曲>等が有名ですね)か オペラの中の歌として作られるものですが、このメロディを用いて、バレエ音楽を書いた例もありました。今回は、それらの例を紹介したいと思います。

先ず、元歌を御紹介します。



2番目の動画は器楽曲の例です。



3番目の動画は、Masse の書いたオペラ<トパーズの女王>の中の歌です。前半は彼自身が書きましたが、後半に、<Le carnaval de Venise>のメロディを用いています。



4番目の動画は、<Satanella>と言うバレエの中のGrand pas de deux です。作品全体は失われましたが、このGrand pas de deux だけが残りました。本来は、主役2人と4組の男女のペアで踊られるGrand Pas ですが、普通主役2人だけが踊るのが、慣例となっています。音楽は、R.Drigo と共に、19世紀のバレエ音楽の大半を書いたC.Pugni によって書かれました。女性ソロの部分にこの歌のメロディが多く使われています。




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Ah, vous dirais-je, Maman [音楽]

クラシック音楽愛好家でなくても、<Twinkle twinkle little star>として知られている<Ah, vous dirais-je Maman による主題と12の変奏曲>を知っておられる方は多いでしょう。この曲は、18世紀後半にフランスで流行していた作者不明の流行り歌<Ah, vous dirais-je Maman>を基に、Mozartが作曲した作品です。





この曲の発祥の地がフランスですから、Mozart に関係なく、フランスの作曲家達がこの曲を自作の中に取り入れました。その例を御紹介します。Ballet の<Giselle>の作曲家として知られるAdolphe Adam が自作のOpera comique の<Le Toreador>の中にこの曲の旋律を用いて三重唱を書いています。



この<Le Toreador>の三重唱をソロ用に誰かが編曲した歌もあります。この歌は、Coloratura Soprano のショウ・ピースとして良く歌われます。これを、Rossini のOpera buffa<Il Barbiere di Siviglia>の第2幕のRosina のレッスンシーンの歌として、屡用いられました。その例が、下の動画です。今では、このような歌の置き換えは、アナクロニズムとして避けられていますが、19世紀後半から20世紀前半までは、ヒロイン役の歌手の歌唱技巧の開陳の為によく行われていました。でも、Opera をエンターテインメントとして割り切って考えれば、面白い事は確かです。



一つの流行り歌を巡って、色々な現象が起るって、面白いです。流行り歌も馬鹿には出来ないなと思いました。

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ソ・ド・レで始まる歌。 [音楽]

学校の音楽鑑賞会のお仕事の中に、楽器紹介と言うコーナーがあります。僕がそのコーナーで弾く曲は、何故か叙情歌や唱歌が多いです。ふと思い返してみると、ソ・ド・レやミ・ラ・シ(移動ドです)で始まる曲を多く弾いています。例えば、<出船>ミラシドードシラレーレミファファファミ。 <茶摘>ソドレミーミミソーソソミレドレ。 <七里ガ浜の哀歌>ソドードドレミソーミミレドレーレレドレミードラ。 <荒城の月>ミミラシドシラーファファミレミー。 <カチューシャの唄>ソドーレミーソラソーミドレミ-ドラドソー。 ヴァリエーションとしてシ・ド・レで始まる曲もあります。<ロンドンデリー・エアー>シドレミーレミラソミレドラー。

音階の第5音から主音に飛んで第2音に進む音の動きに、何故か惹かれます。皆様は、皆様の心を惹き付ける始まりの音型をお持ちでしょうか?













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