Minuit, Chretiens [音楽]

今日の日曜日は三位一体の主日でした。<教会の暦では四旬節から復活節にかけて、イエスの受難、死、復活、昇天、聖霊降臨を記念してきました。聖霊降臨の主日で復活節は終わりましたが、その次の日曜日は三位一体の主日という特別な祭日です。この日は「三位一体」という神学的な教えを考える日というよりも、イエスの受難・死を見つめ、その復活を知り、聖霊降臨を祝ったわたしたちが、大きな救いの出来事を振り返りながら、父と子と聖霊である神の働き全体を味わう日だと考えればよいでしょう。(カトリック東京教区聖書の集いより引用)>

礼拝では、三位一体の主日に就いて具体的なお話はありませんでした。聖霊降臨の後、使徒ペトロが脚の不自由な男の脚を癒した事を題材に、説教が語られました。ペトロはこう言います。<主イエスの名前が脚の不自由な男を強くした。イエスの名を信じる信仰が、この様な事をさせたのです。私達が救われるべき名前は、天下に主イエスの名前の他、人間には与えられていないのです。>救いを与えて下さるのは、唯一つ主イエスの名前だけなのです。主イエスから離れてしまえば、私達は何も出来ません。この言葉を何回でも自分の心の中で繰り返さなければ、本当の<主に頼る信仰>は育ちません。

帰宅して、PCで遊んでいると、何故か、<Minuit, Chretiens>の旋律が、頭の中に流れてきました。A,Adamの作曲したこの曲は、当然、主イエスの降誕を記念する歌なので、降誕節に歌われる歌です。でも、何故か、この曲が心に流れ続けました。




Minuit, chrétiens, c'est l'heure solennelle, Où l'Homme-Dieu descendit jusqu'à nous Pour effacer la tache originelle Et de Son Père arrêter le courroux. Le monde entier tressaille d'espérance En cette nuit qui lui donne un Sauveur. Peuple à genoux, attends ta délivrance. Noël, Noël, voici le Rédempteur, Noël, Noël, voici le Rédempteur ! De notre foi que la lumière ardente Nous guide tous au berceau de l'Enfant, Comme autrefois une étoile brillante Y conduisit les chefs de l'Orient. Le Roi des rois naît dans une humble crèche: Puissants du jour, fiers de votre grandeur, A votre orgueil, c'est de là que Dieu prêche. Courbez vos fronts devant le Rédempteur. Courbez vos fronts devant le Rédempteur. Le Rédempteur a brisé toute entrave : La terre est libre, et le ciel est ouvert. Il voit un frère où n'était qu'un esclave, L'amour unit ceux qu'enchaînait le fer. Qui lui dira notre reconnaissance, C'est pour nous tous qu'il naît, qu'il souffre et meurt. Peuple debout ! Chante ta délivrance, Noël, Noël, chantons le Rédempteur, Noël, Noël, chantons le Rédempteur !

三位一体の主日の根源をもう一度思い起こせという啓示だったのでしょうか。

Mttiwilda Dobbs [音楽]

先日、YouTubeで色んなソプラノ歌手の録音を探していたら、偶然、Mittiwilda Dobbsと言うソプラノ歌手の録音に出会いました。彼女は、1925年にアメリカのジョージア州アトランタに生まれました。彼女は、アフロ・アメリカンです。アフロ・アメリカンのクラシック畑の歌手と言うと、Leontyne Priceを代表するように、ドラマティコやリリコ・スピントの歌手を想像しますが、Dobbsは生粋のリリコ・レッジェロの声を持つソプラノ歌手です。1950年代に国際的に活躍した歌手で、今では、カタログに残っていませんが、録音も可也したそうです。彼女は、1960年代から1980年前後まで国際的に活躍した同じアフロ・アメリカンのソプラノ・リリコ・レッジェロのReri Gristの先駆者と言えるでしょう。

Dobbsは、基礎のしっかりした発声技術と長いブレスコントロールと盤石なコロラトゥーラの技術を持つ可也レヴェルの高い歌手です。また、、発音も明確で旋律に言葉が飲み込まれる事がありません。この様なハイレヴェルの歌手が、現在忘れられている事を残念に思います。彼女の存在がなければ、Gristも国際的名声を得る事も無かったでしょうし、その後を継ぐ存在のKathleen Battleも世界的に活躍する事も出来なかったでしょう。現在名声を得られている歌手達のルーツを辿っていけば、ちゃんとした先駆者の歌手がいるのです。その事を忘れないようにしたいものです。


Ebe Stignani [音楽]

最近、第二次世界大戦中から戦後に掛けて、イタリアオペラ界を支えた歌手に興味を持つようになりました。最も興味を持っている歌手は、戦後Maria Callasとも屡共演したMezzo SopranoのEbe Stignaniです。彼女は、奥行きのある暖かい声と堅実な歌唱技術を持ち、装飾技巧にも秀でていました。声域もMezzo SopranoからSopranoのテッシトゥーラまでカヴァー出来る広さを備えていました(彼女がSopranoの役を手掛ける事はありませんでしたが)。音楽造形もしっかりしており、常に安定した歌唱を聴かせてくれます。1940年代から1950年代半ばまで、イタリアに於いて、彼女は、イタリアオペラ界の重鎮として尊敬されていました。Giulietta SimionatoやFedora Barbieriの出現で、彼女はそのポストを彼女達に譲る事になるわけですが、彼女の歌唱芸術は、決して忘れられてはならないものだと思います。

Stignaniは、イタリアオペラからフランスオペラまで幅の広いレパートリーを持っていましたが、やはり彼女のレパートリーの中心は、Verdiの作品でした。









彼女は、Verdiの他にも、Verismo opera 、Belcanto Opera、フランス・オペラも屡演唱しました。





















Stignaniは、その広い声域と盤石な装飾技巧を活かして、Belliniの傑作の一つ<Norma>第一幕第一場でヒロインNormaが歌う<Casta Diva>を録音しました。実際、Normaでは、彼女の役はAdalgisaでしたが、これが中々良い出来栄えなのです。



第二次世界大戦後のイタリアオペラ界のMezzo Sopranoに於ける大立役者として、Giulietta Simionatoが大きくクローズアップされてきましたが、彼女以外にも、第二次世界大戦後のイタリアオペラ界を支えた偉大な歌手達がいた事を忘れてはならないと思います。

Nino Machaidze [音楽]

一ヶ月ほど前に購入して聴かずじまいだった、グルジア出身の新進ソプラノ歌手Nino Machaidze のリサイタルCDを聴き通しました。先程聴いた、E.Matthews とレパートリーは重なるようですが、Machaidze の声は身体全体から響いてくるややspinto掛った声で、歌唱のスケールも一回り大きく、将来Verdi後期以降(既にGilda やLaurettaを手掛けています)の作品にもレパートリーを広げる可能性がありそうです。1983年生まれと言う事ですから、現在、まだ28歳。スカラ座の研修所で勉強して、2007年にDonizetti の<La fille du regiment>のMarie をスカラ座で演唱してデビューと言う事ですから、凄い実力を持っている事が判ります。

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ただ、言葉の発音にやや癖があり、言葉を重要視している聴き手からは、辛口の批評が出されそうです。それでも、この若さでこれだけ完成度の高い歌唱を聴かせてくれるのだから、今の時点の無責任な批判は、的外れだと思います。



西ヨーロッパの音楽は、やはり西ヨーロッパ人が手掛けるのが良いと言う思い込みは、もう時代遅れですね。良い教育・訓練を受けた人材は、その人が一番惹かれるレパートリーを選ぶ権利・自由を持つと思います。これからも、世界各地から国・人種を超えた素晴らしい人材が出現するでしょう。逸材の出現を見ると、まだまだ音楽を聴く事は止められません。

arata

Emma Matthews [音楽]

二週間前ほどに入手したEmma Matthews のリサイタルCD を、今日全曲聴き通しました。彼女の声は、暖かみのあるSoprano lirico ですが、可也声域が広く、至難な装飾技巧を完璧に身に付けており、また抒情的な歌から劇的な歌迄、鮮やかに歌いこなす幅広い表現力を持っています。
普通、Coloratura の歌を聴くと、如何しても華麗な装飾ばかりに耳が引き付けられてしまいますが、彼女の歌は、どんなに難しい装飾技巧を要求される歌であっても、とても音楽的なのです。彼女の歌には、装飾技巧を取り払ったとしても、十分に聴く人の心を惹き付けるしっかりした音楽があると感じました。彼女は1970年生まれと言う事ですから、今年41歳、声楽家として、絶頂期でしょう。今迄、彼女を知りませんでしたが、彼女を知って良かった思いました。

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最近、聴く人を装飾技巧で吃驚させるより、装飾技巧を表現に用いて、歌そのものを聴かせる歌手が増えてきましたね。その20世紀に於ける最初の例は、言うまでもなくMaria Callas ですが、彼女の歌の変革が漸く声楽界に広く行き渡ったと感じます。
このCD は一枚で4200円もしましたけど、購入して良かった思える・聴くに値するCD だと思います。大切にしたいCD が一枚増えました。


古楽器演奏会 [音楽]

昨日、古楽演奏会で演奏しました。18世紀のハンブルグに纏わる作曲家達の作品を選んで、プログラムを作りました。編成は、チェンバロ・バロックヴァイオリン・バロックヴィオラ・ヴィオロンチェロアッラスパラの四つの楽器(ソロでクラヴィコードもありましたが)。僕にとって室内楽は久し振りだったので、緊張はしましたけど、勉強になる事が沢山ありました。

演奏会は、只楽器を弾くだけでなく、ハンブルグの街の由来や、その周辺の都市の話、作曲家の話、楽器の説明等を、演奏の間に挟みながら進行しました。僕にとっても興味深い話でしたが、お客様にも興味深い話だったと思います。だから、退屈せずに演奏会を楽しまれたと思います。

演奏に関しては、反省点は沢山ありますが、取り敢えず、無難に進行した事だけでも、良しとしたいです。古楽器を使ってお客様の前で正式に弾く事は、僕にとって初めての事でしたから。つまり、昨日の古楽演奏会は、僕の古楽器奏者としてのデビューだったのです。楽器の音を響かせるだけで終わってはいけないので、楽曲全体のシェイプ・音のキャラクター・フレージング・装飾音の付け方を考えなければならず、そちらの方の練習が大変でした。でも、それを勉強したお蔭で、音が持っているキャラクターを以前より理解出来るようになりました。それが今回の演奏会の大きな収穫でしたね。

同じメンバーで二回目の演奏会が出来るかどうかは未定ですが、実現出来るようにメンバーは考えています。僕も、また古楽演奏会で演奏したいので、これからも、古楽器の練習を続けたいと思います。

arata

Die Forelle [音楽]

古楽や、ラテン系の言語の作品ばかりを聴いていると、時折、ドイツ語圏の作品を聴きたくなります。その代表が、Schubert の<Die Forelle>です。Schubert 以外書く事が出来なかった、流麗で知的な旋律に耳が惹きつけられます。2分前後の短い時間の中で、雄弁なドラマが描かれるところにも、魅力を感じます。



この曲は、Schubert自身が、ピアノ五重奏曲に編曲していますね。この曲も素敵です。



この<Die Forelle>は、当時多くの人々に親しまれたようで、他の作曲家にも、影響を及ぼしたようです。Franz Liszt がこの<Die Forelle>のヴァリエーションを書いています。



時には、ドイツ語の美しさにも触れるべきですね。

arata

Brian Asawa の最近の歌。 [音楽]

Haute-contre が好きなので、Haute-contre の話題が続きます。
最近の日本では、やや知名度が下がってきましたが、優れたHaute-contre に日系アメリカ人Brian Asawa がいます。最近、余り状況が伝わってこないので、YouTube で検索したら、沢山動画が出てきました。日本に情報が伝わってこなかっただけなんですね。最近の演奏と思われる動画を掲載します。





外見は、流石にオジサンになったなぁ、と思いますが、声や技巧、音楽表現は、相変わらず見事なものです。特に声が若い頃より練り上げられているのには、驚きます。彼は、息の長い活動をして欲しい歌手の一人ですね。

arata

バロックからベルカントの新星登場 [音楽]

またまた、YouTubeで色々検索していたら、凄い歌手を発見しました。名前はJulia Lezhneva 、名前からして、ロシア人か東欧系。先ずは、僕を驚かせた驚異的な歌唱をお聴き下さい。





彼女は、E.Obraztsova competition のグランプリを勝ち取った歌手だそうです。声質は、やや暗めですが、輪郭のはっきりした声で、声域も広く、至難な装飾技巧も楽々とこなしています。技巧偏重の歌手かと思いきや、連綿たるカンタービレを程良い情感を込めて歌える事も出来るようで、手掛ける音楽の本質を理解し、リアライズする才能にも長けているようです。



僕の興味を惹いて止まない分野に優れた歌手が登場する事は、何よりも嬉しい事です。やはり、こう言う喜びを知ると、簡単に死ぬわけにはいかないなと思います。

arata

日本にも世界に通用するSopranista がいる。 [音楽]

先日、Radu Marian についてブログを書きましたけれど、日本にも世界に通用する可能性を持つ優れた資質を持つSopranista がいます。名前は<木村友一>、聖徳学園大学音楽学部の学生です。先にスポットライトを浴びたSopranista に<岡本知高>がいますけど、ややイロモノめいた彼より、木村氏の方が、正統的な存在になるでしょう。米良氏は、クラシック畑からポップスに移動し、岡本氏は、クロスオーバー的な存在、haute-contre のベテラン方も、数年前の勢いが無くなりつつある今、木村氏に、日本の古楽界の声楽部門で大いに活躍して欲しいと思います。






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